木曽の旅

赤沢自然休養林

 上松町より木曽川の支流、小川の流れを眺めながら約13キロ「森林浴」発祥の地、日本三大美林として知られる赤沢自然休養林が広がっています。平均樹齢250年を越えるヒノキの森に足を踏み入れると、木々の芳香と清流のせせらぎ、小鳥たちのハーモニーが身体を優しく包み込みます。
7つの遊歩道が楽しめ、春から秋にかけてはかつての森林鉄道も運行されています。

寝覚の床

 木曽川の奇岩と碧いの水面が幻想的な、木曽を代表する名勝の一つ。浦島太郎伝説も残り、岩の上に祠・浦島堂がまつられています。中山道の景勝地、木曽路のランドマークとして親しまれ、 寝覚の床は昔も今も旅人の心に刻まれます。

上松宿

 福島宿の手前、この上松は江戸時代初期より尾張藩の保護を受けた古くからの木曽ヒノキの集散地、その歴史は今もなお木材工業の町としてその名を馳せています。戦後の数回にわたる大火により古い町並みは上町にわずかに残るだけですが、木曽駒ケ岳を望むこの町には「赤沢自然休養林」「木曽の桟」「寝覚めの床」などの木曽路を代表する名勝を有し、人から人へ受け継がれ守られてきた自然美を四季折々楽しむことが出来ます。

福島宿

 木曽町福島は中山道の宿場町の中で江戸へ六十八里、京の都へ六十七里という中間地点の宿場町であり、江戸時代に四大関所の一つ「福島関所」も置かれ木曽路の中心として栄えました。当時の町並みは昭和の初めの大火によりその面影はわずかですが上の段地区には敵の進入を防ぐための鍵の手と復元された高札場や水場が残り、福島関所や山村代官屋敷などの史跡を巡りながら町を歩けば往時の趣きを思わせるものに出会うことができ、四季折々の彩りと澄んだ水、空気がいつでも旅人を優しく迎えてくれます。駅前から西方を眺めるとそこには樹齢200~300年のヒノキ・サワラ・モミなどの針葉樹や、新緑・紅葉の季節には鮮やかな彩りをみせる広葉樹の大木が茂る城山国有林が迫っています。

奈良井宿

 江戸時代、江戸と京の都を結ぶ重要な街道であった中山道がありました。
 その中山道六九次のうち、木曽路には11もの宿駅が存在しました。奈良井宿は木曽路11宿の中で北から2番目にあたり、上町・中町・下町の3つの街区から構成されており、今なお日本の情緒を色濃く残す観光スポットになります。

妻籠宿

 峠道も終わり大妻籠を過ぎていけば木曽路の代表的な宿場として知られる妻籠です。木曽路の中でもとりわけ往時の面影を色濃く残している妻籠宿が、宿場町として徳川家康から指定を受けたのは慶長六年(1601年)ですが、それ以前より中山道と飯田街道への重要な拠点として時を重ねてきました。
 往時は賑わいをみせたこの町も機関車や道路の発展という近代化の波に宿場町としての使命は奪われ町そのものが存亡の危機に立たされた時期がありました。大火により脇本陣から北は失っていましたが地元の人々はこの日本の伝統ある宿場を後世に伝えようと保存運動は「売らない・貸さない・壊さない」を合言葉に地道な活動を重ねていきます。この活動が認められ、長野県明治百年事業と併せて昭和43年ごろから修繕・復元が進められ、昭和51年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」の第一号として選定されました。復元された町並みや妻籠や木曽路の歴史を伝える資料館など静かな佇まいの中に、江戸時代の息吹が凝縮された町並みはきっと古くて新しい発見で訪れる人を楽しませてくれます。

馬篭宿

 中津川から落合に入り、往時の石畳の残る十曲峠(落合宿)を越えればそこが木曽路の南端、坂道と石畳、そして島崎藤村ゆかりの地として知られる馬籠宿です。木曽路の入り口にあたる新茶屋を通り「是より北 木曽路」の碑を過ぎて当時の中山道を偲ばせる細い道を恵那山を眺めながら行けば鍵の手に始まる馬籠宿です。宿場町としての当時の馬籠の農地は狭く生活は苦しかったと言われています。そのため宿場として旅籠を兼ねることは生活の一助となりました。
標高655メートル、独特の地形と吹き上げる風、水利に乏しいことから馬籠の歴史は大火の歴史ともいえます。明治28年(1860年)には69軒を焼失、島崎藤村の生家である本陣も隠居所と土蔵だけとなり、宿場町の面影は随分変わってしまいましたが、妻籠宿同様地元の人々の努力により、藤村記念館を筆頭に現在の姿を取り戻しました。

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